電脳ヨーグルト

プログラミングの備忘録と私生活を

生きるのに向いてない人間の特徴はなにか

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人間という生き物は孤独には耐えられないらしく、人との関りが途絶えた今は自ら掲げた目標に対するやる気は削がれ、重苦しい脱力感に襲われている。

余計な事を考える暇がないほどその日のスケジュールが埋まっているほうが、案外気楽に生きられる。

暇を持て余した人間ほど政治や哲学、人間社会の真理などに興を示す。

しかしこんなものは自己満足の道具に過ぎない。

考えれば考えるほど吐き気がする・・・

これは金や社会的な立場などに対する飢えからくるものではなく、人間という存在の不確かさが原因ではないかと思う。

この世に完璧な人間など存在しない。

そもそも完璧さなんて個人の主観に依るものでその人次第だ。

自分に中に築いた拙い正義と照らし合わせて、出会う人物や世の中を審議すると必ず齟齬が生じる。

だから人との関係性が深まってきたところで急に付き合いを避けたり、世俗的な人間や社会の姿を目の当たりにして、ニヒリズムに浸るようになる。

世間的にみて異様なこの行動は、私のような厭世家にとって一種のドラックのようなものである。

好む好まざるに関わらず、世の中に染まることが求められるのは人間が群れを成して生活するようになった時代から変わらない。

はみ出し者に救いはないのだろうか。

自己のすべてを投影できる完璧な存在。

神・・・ 宗教・・・

しかし神は死んで宗教は滅びた。

情報の民主化により多種多様な価値観や宗教の歴史について、多くの一般人が触れることができるようになった。

その結果、救済の対象として宗教に価値を見出す人が減少し、宗教は形骸化した。

すがるものが無くなった現代人はみな根無し草で、生きる目標もなく無為徒食に生活している。

むしろ本来「生きる」ということが生物の最大で唯一の使命であり、それ以外はすべて冗長なものだ。

毎日を刹那的で無為に過ごすという事も、「生きる」という最大の目的が達成されているので、これは人間本来の姿ではないだろうか。

しかし人間とは欲深い生き物で、生命の安全が確保されると、自らの人生に何かしらの意義を求めようとする傾向がある。

根無し草となった多くの現代人は、金、出世、社会貢献、憧れる人物、など自分にとっての宗教に替わるものを見つけ殉教している。

現代社会において宗教は陳腐化したが、代わりに新たなカルト宗教が乱立している。

多くの人は自分にとっての宿り場を見つけそこに落ち着くが、中には私のように浮遊したままの人間もいる。

このような漂流者は生きるのに向いていない人間だと思う。

人によって漂流している理由は様々だと思うが、これらの人に共通するのは物事を極で考えてしまう「二極思考」だろう。

宗教に替わる価値観をその思考フィルターで吟味しても、完全に自分が求めている物が見つかる可能性は限りなく低い。

仮に見つかったとしても、しばらくすると欠点が見えてくるに違いない。


このような曖昧性を受け入れることが難しい人間にとって、生きることはただただ地獄である。