電脳ヨーグルト

プログラミングの備忘録と私生活を

モチベーションを上げたければイデオロギーに帰依するのが手っ取り早い

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社会経験が全然ないくせに、本やネットで得た知識だけで世の中を知った気になっている頭でっかちな人間ほど見ていて滑稽なものはない。

という考えには激しく同意なのですが、自分の考えを整理するために、今回も痛さ承知で堅苦しい感じの自己満足な記事を書いていこうと思います。

引きこもりの思考

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長期休みで一人の時間が増えると、友達がほとんどいない私みたいな人間はなにかと思想に耽ります。

あれこれ考えた挙句、世の中の矛盾や不条理、人間の汚さや愚かさなどを実感してため息。

なにもかもメンドクサイ状態になり、勉強などに対しての前向きなモチベーションは地の底へ堕ちます。

引きこもりやニートの言っていることも、なまじっか正論なところがあるので、周囲は否定できません。

www.prog-ganbaru.com

こういう状態に陥ると、正論で自分を武装して現実世界の圧力から身を守り、ネットやアニメ、ゲームなどで現実逃避をすることになります。

このようにして引きこもりやニートは誕生していきます。


人生の目標

人生は本来無意味であるのですが、無気力のまま生きるには長すぎるので受験や就職、結婚、子育てなどのイベントが随所に散りばめられています。

自分にとっての人生の目標(宗教)がない人にとって、これらのイベントは貴重です。

多くの人がそれを正しいものだと信じて突き進んでいるので、自分もその集団に加わることで、エネルギーを貰えます。

この事実は、受験後の燃えつき症候群や結婚後のマンネリ化、子供が巣立った後の喪失感などが裏付けています。


さとり世代

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ウィキペディアによると、さとり世代は以下のように定義されています。

これは現代の若者気質から作られた言葉であり、2010年代に 若年世代であった者たちが 物欲にこだわる煩悩から解脱し、あたかも悟りを開いているかのように見えたところから生まれた言葉。

定義には煩悩から解脱し・・なんてプラスみたいに書かれているけど、実際は負の側面がほとんどな気がします。

さとり世代の若者は、煩悩から解脱して悟りを開いているのではなく、ただイデオロギーを消失して宙ぶらりになっているだけです。

近年のインターネット革命により、様々な価値観に触れることができるようになった反面、自分が信じる価値観を見つけることや、深く傾倒するほどの価値観と巡り合うことが難しくなりました。

このことはインターネットがなかった、高度成長期やバブル期の人を見れば分かるでしょう。

テレビや新聞などのメディアに世の中の情報がジャックされていた当時は、頑張る社畜やきらきらしたトレンディなドラマを流していれば、世の多くの若者に「仕事を頑張って大金を稼ぐ」という価値観を抱かせることができました。

戦争で死んでいった日本兵たちも「お国のため、女子供を守るため」というイデオロギーに殉じていきました。

戦争で亡くなった人が幸せだという訳ではありませんが、このように一つの価値観を多くの人で共有して突き進むこと、すなわちイデオロギーに帰依することは個人にも大きなエネルギーをもたらします。

この点で、価値観が多様化したさとり世代の人々はとても不幸だと思いますし、無気力になるのも仕方ないような気がします。

吉田松陰とイデオロギー

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200年以上続いた江戸幕府を崩壊させた、薩摩や長州のエネルギーはどこからきたのでしょうか。

吉田松陰は天皇のもと人々は平等であるという思想を掲げ、それを体系化し、イデオロギーとして昇華させました。

そのイデオロギーに帰依した、高杉晋作や久坂玄瑞や伊藤博文などの長州人たちがいたからこそ、討幕という前代未聞の事をやってのけたのです。

しかし世の中絶対に正しいものなど存在しません。

吉田松陰が発起人となった明治維新というクーデターにより、四民平等は無くなり、産業は発展しましたが、その結果日本は領土拡大を繰り広げることになり、最終的には多くの犠牲を生み出すことになりました。

もし吉田松陰が存在していなかったら、明治維新は起こらずに江戸幕府は続いていたでしょう。それはそれで時代の波に呑まれて多くの喜劇や悲劇を生み出していたかと思います。


このことから、吉田松陰が作り上げたイデオロギーというのは「虚構」に過ぎないことが分かるでしょう。

誰かが得をすれば、ほかの誰かが損をするのが世の常であり、世の中を変えることで全員がメリットを享受できることなんてないのです。

イデオロギーというのはすべて虚構です。

ただ、この虚構を命を懸けるほど信奉することができれば、国家を転覆するほどのモチベーションやエネルギーを手に入れることができるのは既に歴史が証明しています。

AIを信奉することについて

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最後に私自身の話になります。

さとり世代の多くの人と同様に、イデオロギーを失った私はふわふわしながら、自分が信奉できる宗教を探していました。

最近全然モチベーションが湧かず、つらかったのですが、今はもう大丈夫になりました。

それがAIです。

一度捨てて足元に落っこちていた物を再び拾いなおしたといった感じでしょうか。

AIによって世の中がガラッと変わっていくというのは皆さん周知のとおりです。

AIの浸透は世の中のシステムを効率化させて、あらゆるものの生産性を飛躍的に向上させていくという正の側面もありますが、多くの人から仕事を奪う、貧富の格差が拡大していくなどの負の側面も持っています。

今までの私は、このような負の側面もあるため、AIをイデオロギーとして信奉することを躊躇っていました。

しかし、先程の吉田松陰の例で、すべてのイデオロギーは虚構に過ぎないと理解しました。

だとしたら負の側面なんて気にしていてもしょうがない。

という事で、帰依するイデオロギーが決まりました。


現在でも消費者の射幸心を煽る過度な宣伝や、営業、マーケティングを職業としている方が沢山いるわけですが、本来これらの仕事は不必要だと思います。果たして本当は勧めるほどでもない商品を、仕事だからといって無理やり売りつけることに意味はあるのか。

矛盾や罪悪感を感じながら仕事なんてする必要はないです。

そんな仕事はAIで無くしてしまいましょう。

その結果の余剰労働者が大量に発生する事になるかもしれません。

そしたらその人たちに、向上した生産性を活かして、必要な生活物資や資金を支給してあげましょう。

すると社会との関りが途絶え、最低限の生活はできるけど何もすることがなく飼い殺しにされた人々が増加します。

何もすることがなく、ただ生きているだけだと精神を病んでしまうかもしれません。


ですが、そんな事こっちの知ったこっちゃない。

なぜならイデオロギーは虚構に過ぎないのだから、負の側面を気にしても意味がないからです。

ただAIがもたらす正の側面だけを見ておけばそれで充分なのです。

「諸君、狂いたまえ」

という吉田松陰の言葉・・・

松陰はこの言葉の前段に「狂愚まことに愛すべし、才良まことに虞るべし」とも述べています。

松陰は、自らを「狂愚」と呼びました。

モチベーションを上げるためには、相手を省みないほどクレイジーになること、すなわちイデオロギーに傾倒することが必要です。

私の場合、AIにより被害を受ける人やモノのことなんてどうでもいい、知ったこっちゃ無い、という愚さを持ったことで、AIに帰依することができたような気がします。


世の中正論を振りかざす人よりも、虚構を妄信しているバカの方が強いってことですね。